通勤電車で読む『きしむ政治と科学』。オーラルヒストリーの人が尾身会長にインタビューしてきたものをまとめた本。ていうかオーラルヒストリーとは。

このまえ読んだ『1100日間の葛藤』(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2023/10/06/170733)は尾身もと会長が書いた本。おおよそこの夏時点までのはなしをまとめて9/22にでたもの。本書は、オーラルヒストリーの人が2021年4月~2023年2月まで12回にわたって尾身会長(当時)にインタビューした(うち4回分は『中央公論』で記事になっている)ものをまとめて7/25にでたもの。二冊の構成は、まぁ似ていると言えば似ていて、基本的にコロナ禍の最初から今年に至るまでを振り返って時系列的に語っている。のだけれど、この本のばあい、インタビューそのものはその時々に行われたものなので、厳密にいうと、それぞれの時点の尾身会長の語りの視点は時期ごとに変化しているのかもしれないなあと思われなくはない(ものすごくそう感じる箇所があったというわけでもないけれど、なんとなくどうなってるのかなと気になる)。
内容的には、まぁほとんど重なるように感じたが、じゃあどっちが良かったかというと、尾身会長が自分で書いたもののほうが良かったかなあという感じ。えーと、そもそも尾身先生という人がコロナの間に(というかコロナの前から)なにをやっていたかというと、専門家の見解を政府や国民にできるだけ正確に言語化して伝えるコミュニケーターの役割だったわけで、しかもそのときに、できるかぎり事実を隠さず伝えることが肝要であるという方針でやっていたわけなので、コロナ禍をふりかえるにしても、尾身先生じしんがいちばん適任であるし、まぁいってみればそもそも「裏話」のようなものそのものがない(リスクコミュニケーションの基本として、裏表のない情報開示が心がけられていたというわけで)ので、基本的には、行ったことの事後的な評価以外の何かが出てくるものでもないともいえる。そうするとつまり、そもそも「オーラルヒストリー」がふだんやっている仕事って何なのか?ということになる。たとえば政治家にインタビューして裏話とかそのときの判断のあれこれを聞き出す、みたいなことは、本書だと空振りになっている気がする。書名に『きしむ政治と科学』と掲げ、帯にはでかでかと「官邸vs専門家」と大書しているけれど、内容を読むと、尾身先生がこれまでも、また著書の中でも発信しているようなこと以上でも以下でもないようにも見えるし、日本のコロナ対策の中で官邸と専門家がものすごく対立していたかというと、まぁ、あたりまえなのだけれどそれなりに(あるいはそれなり以上に)密にコミュニケーションをとって落としどころを探りつつやっていたわけで、だからこそ日本のコロナ対策は現時点では世界を見渡した中でおおむね成功しているわけである。尾身会長の手腕や調整能力がすごかったんだなあ、「きしむ政治と科学」「官邸vs専門家」という構図をできるだけ作らないようにしていたんだなあ、というのが尾身本を読んだときの感想で、それを読んだ後に本書を読むと、なんだか著者のひとの「きしむ政治と科学」「官邸vs専門家」という見込み自体がからぶりしているように見えるわけで、じゃあオーラルヒストリーってなんなのか?取材して「きしむ政治と科学」「官邸vs専門家」という歴史的構図を浮かび上がらせようと見込んでいたら取材対象のほうが一枚上でした、みたいなことなのか、と思わなくはなかった。