通勤電車で読む『ゼロ・トゥ・ワン』。

なんか以前に読んだnote記事が面白かった覚えがあって、その中で触れられていた本を読んでみたわけである。
note.com
でまぁあらためてみたら、有名なビジネス書だったのだな。そして著者は「ペイパル・マフィア」と呼ばれる、ペイパルを起業したメンバー(がそのあとみんな活躍している、イーロン・マスクとか)のひとりであると。
で、この本のなにがおもしろいかというのはけっきょく上↑のnote記事が言ってるようなことだった(のでnote記事よんだときのほうがおもしろかったっていうかnoteの人の解釈に引き寄せてる感じはあるんだけど)わけで、

ピーター・ティール自身がこの言葉を使っているわけではないんですが、ピーター・ティールが抗いたいと思っている流れは「シリコンバレーのジェントリフィケーション」なのだと思います。
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本当に「明確な優位性を築くことができる一点的な仮説にちゃんと賭けて動く」存在が必要なのに、今のジェントリフィケーションが進んだシリコンバレーではそういう存在は排除されてしまいがちだ・・・みたいな話でした。
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「ジェントリフィケーション」によってスミにおいやられつつあるカルチャーはどういうものかっていうと、それは「テックギーク(技術オタク)」成分と、「中小企業のオヤジ」感覚だな、という風に思います。
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勿論数字のバックアップを適宜確認して現実から遊離しないようにすることが大事なのは言うまでもないんですが、大事なのはそれをやる「頻度」というか、「重要な問題」以外のありとあらゆる細部にまでそれをやる精神が持っているリスク回避性向・・・みたいなのの問題があって。
結局オマエは何を信じてどういうリスクを取って生きていきたいの?みたいな問いから必死で逃げているようなところがあるというか。
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で、そういうのに対して、ピーター・ティールの本には「健全な中小企業のオヤジの数字感覚」みたいなのがあるな、と思います。
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水っていうのは摂氏0度以下では個体になり、0度以上になると水になり、100度を超えると気体になります
的な感じで、
顧客一人あたり獲得コストをどれだけかけることが可能かによって、それぞれのビジネスがどういう違った構造になるか
を明快に説明している。・・・
こういうのは、勿論アカデミックな学問家でも物凄くトップオブトップな人は当たり前のように持っている能力で、要するに分析する数字が10個も20個も出てきてもそれを並列に並べてダラダラと説明するんじゃなくて
「この数字がどちらに倒れるのかが重要なのだ」
という感覚が鋭敏なので話を「そこ」に明確に集中させていくドライブ感がある。・・・
こういうのって、学問的な天才には当然あるんだけど、「トップからちょっと落ちる学問家」には呆れるほど無い人も結構いる反面、私が仕事で付き合っている中小企業の経営者の人とかは(少なくとも自分のビジネスに関しては)結構持っている人がいたり・・・という能力なんですよね。
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問題は、「ジェントリフィケーション」が進んで、「テックギークや中小企業のオヤジ」的にナマの現実に張り付いた感覚を持った人間じゃなくて、「先生の評価を追い求めてアクセサリー的経歴を集めてきた人」ばかりが出てくると、そういう人ってこの「中小企業のオヤジ的数字感覚」が薄い人が多いんですよね。