通勤電車で読む『在野研究ビギナーズ』。

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活

まぁそもそも大学の同級生で主席卒業だった人もたしか地元に帰ってしれっと県庁かなにかに勤めたはずだし、すごく賢くて教養があって信頼する同級生も大学院なんか行ってもどうせつまらないと言って進学しなかったりもしたし、まぁインターネットを見ていてもかしこい人とか教養ある人とかは世の中にたくさんいるし、以前研究会をやっていた時も現職教員や看護師のひとが院生として参加したり、で論文を書いてまた現場に戻った人もいれば大学の先生になった人もいて、それはまぁそれぞれということでべつに大学で教師をやっている人間だけが特別でそれ以外の人は研究はできませんなどとはあまり思っていないんで、だからまぁ、さいしょのほうの章で、在野だけど研究をやってます、こんなに論文を書いたり本を書いたりしています、というような人たちが登場しても、まぁそうだろうなあ、優秀な人はいるなあ、というふうに、まぁあまり感慨を覚えなかったし、大学に所属しなくてもこんなふうに研究してるんです、こうすれば研究できるんです!みたいなことを言われても、そういうことじゃないんだよなあ、と、ぴんと来ない思いがする。自分的には、ある個人が在野かどうかというよりも、そもそも研究という世界がずいぶんダメになってきている - それはもちろん「大学がダメになってきている」ことにも関連しているだろうし、そういう言い方をすれば角も立たずに共感されやすいかもしれないのだけれど - ほうが大きな問題で、誰かや自分が研究をやるとかやりそびれるとかは、そもそも研究という世界が成り立っていないとできないのだけれどそれが危ういんだからそのほうがどうにかなってくれることが重要で、ある人が在野だったり大学に所属したり研究できたりしそびれたりうまくやったりやれなかったりというような個人的な事情は、まぁそういう人もいるだろうなぁぐらいに思っている。でまぁ、研究という世界云々というのは、自分が常日頃ボヤいてる、研究コミュニティというのがなくなってきてるんじゃないか、ということで、それが自分の周辺だけとか、自分がダメとかいうことだけではなさそうで、構造的に研究コミュニティというのが成り立たないようになってきてるんじゃないか、というふうに思えるということでもあるけれど、そうすると、この本の「第三部 新しいコミュニティと大学の再利用」はやはり面白かった。

通勤電車の車内騒音から耳を守れないかと、ノイズキャンセル系のガジェットを試しているが案外100均で買った耳栓が最適解ではとも思い始めている等々。

もう10年ぐらい、高音域難聴の自覚があって、まぁ人間だれしもトシをとると高周波の音域が聞こえにくくなるのだけれど、つまりそれが年齢相応よりずいぶん早いというか、そういう自覚があるわけで、まぁ具体的には人の喋っている声のうち高周波の音域が聞こえにくくなるために子音が飛んでなにいってるか聞き取れない、ということがたぶん無視できない程度に起こっている。授業なんかで学生さんが喋るときに、まぁ学生さんがもごもごいっているというのもあるかもにせよ、聞き取れなくてなんども「は?」「ごめん、何?」等々なんども訊きなおすと、まぁ感じは悪いわけである。
まぁそれで、なんとなく思い立ち、毎日通勤電車でガタゴト、ゴオーっという車内騒音を長時間聞いているのはやはり良くないのでは、ということで、ノイズキャンセル系のガジェットを試す。バッテリーがへたり気味だったウォークマン(ノイズキャンセルつき)をひっぱりだして試してみたら、やはりいくらか騒音をおさえることはできそう。なので、あたらしくウォークマンを買ったり、また、ノイズキャンセル機能に特化したデジタル耳栓みたいのを買ってみたりして、それでじっさいに通勤電車でふたつをかわるがわるつけてみてどっちがよりノイズキャンセルするか、などためしてみたり(まぁ似たりよったりだった)。でまぁ、しかし、ふと思いついて100均で、耳栓(むかしから「イヤーウイスパー」とかいって売れてるようなかんじのやつ)を買って試してみたら、意外によく騒音が遮断され、しかも簡便で、なんかこれが最適解ではとも思い始めている。まあ、しばらくはいろいろためしつつのつもりではある。

通勤電車で読む『燃える!会議術』。

燃える!会議術 早く終わって、結果が出る (PRESIDENT BOOKS)

燃える!会議術 早く終わって、結果が出る (PRESIDENT BOOKS)

なんか以前古本で買って積んであったものを通勤電車で。2006年に出た本で、プレジデントとかのインタビューとか会議術系の記事を編集したもの。

秋学期がはじまってしまう。『伯爵夫人』読んでた。

伯爵夫人 (新潮文庫)

伯爵夫人 (新潮文庫)

秋学期がはじまってしまう。学会には行かずに職場の仕事を粛々とおこなう。それでこのところ気散じに、本棚で見かけた『ユリイカ 総特集 蓮實重彦』をぱらぱらしたりしていたのだけれどそのうちふと、『伯爵夫人』未読だったなと思い出して読んだ。それであらためて『伯爵夫人』論をあたって本棚から『論集 蓮實重彦』とか、あととくに『〈淫靡さ〉について』はかなり全編そうだったので再読。
〈淫靡さ〉について (はとり文庫 5)

〈淫靡さ〉について (はとり文庫 5)

論集 蓮實重彦

論集 蓮實重彦

ところで『伯爵夫人』どうだったかというのだけれど、まぁですね、全編エロシーンと暴力シーンの大盤振る舞い、でまぁ戦争とか暗躍するなぞの機関みたいな?そういう話、でまぁ夢、が重要な役割を果たし…?…なんかそういうかんじの?…そういう言い方をするとなんかどっかでみたことのあるような…謎めいた女が…姿を消す…あるいは主人公に妙になついてくる共犯者的な美少女とか…?…妙に受け身な主人公とか?……なんかほんとそういう言い方をするとなんかどっかでみたことのあるような話なきがしてきたけれど、まぁけっきょく主人公がやれやれとか妙に空虚を抱え込んだ感じで言う話にはぜんぜんならない、それはまぁならないわね。という冗談。
ちなみにこの↑『論集 蓮實重彦』の「義兄弟の肖像ー『帝国の陰謀』とその周辺をめぐって」(田中純)、読み直してやはり面白い。

学校帰りに足を延ばして『高野文子「私」のバラけ方』を買い求める。勢いで『ドミトリーともきんす』も再読。

katarikoko.blog40.fc2.com
近くの書店に入荷したというのをTwitterで見かけて、某日、学校帰りに足を延ばして、雷と夕立をうまくさけつつ、その書店に行ってぶじ購入。もとは<カタリココ>という朗読イベントだそうで、そこから小さな本ができたのが<カタリココ文庫>というのだそうで、その創刊号が、高野文子の回のトークだということのよう。はなしはちょうど『ドミトリーともきんす』のころのはなしで、『黄色い本』から『ドミトリーともきんす』への変化というか飛躍というか、そのあたりのことが話題になってる。それで、勢いで『ドミトリーともきんす』もひっぱりだして再読。初めて読んだときはぴんとこなくて首をかしげて読んでいたけれど、トークをてがかりにしつつ読み直したらなるほどおもしろい。

ドミトリーともきんす

ドミトリーともきんす

通勤電車で読んでた『われらの図書館』。

われらの図書館

われらの図書館

夏の出張の時に読んだ『移動図書館ひまわり号』↓がよかったので、同じ著者の本を。
出張のおともは『KING JIM ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』『歩いて読みとく地域デザイン』『移動図書館ひまわり号』。『ひまわり号』がよかった。 - クリッピングとメモ
おはなしとして読みやすくて感動的だったのは『ひまわり号』のほうだったと思う。内容的に重なるぶぶんもあるけれど、こちらはもうちょっと散文的な書き方。著者の人は日野市の図書館をつくりあげたあと、滋賀県立図書館の館長になってる。そういえば滋賀県って図書館が盛んだったよなあと思い当たる。
図書館の1人あたり貸し出し数、滋賀は東京に次ぐ2位 - 産経ニュース

通勤電車で読んでた『教育格差』。日本の教育格差についてデータに基づいた検討を全部乗せの新書。学生さんにおすすめしたい。

教育格差 (ちくま新書)

教育格差 (ちくま新書)

Twitter上で評判があれこれ出てたので、注文せねばと思っていたら、わたくしごときもののところまで献本をいただいて恐縮しています。ありがとうございます。それでそういうのは後手を引いた感があって、あいたたたといいつつぼちぼち学校も始まってきたので通勤電車で読んだ。
でまぁ、教育格差ということが言われているわけだけれど、出身家庭の社会経済的な階層と子どもの教育達成との相関は、まぁ、はっきりあるよと。それで、そもそも公教育というのはそういう格差を縮める役割を期待されるけれど、まぁあまり縮めてないよ、けっきょく、階層差は、就学前の幼児教育の段階ですでに子どもに差をつけてしまうわけだし、その差がずっと小学校、中学校、とキープされるし、高校で制度的にトラッキングされていくよと。教育社会学の人にとっては、あーそうなってるわねえ、という話であるけれど、それを、幼・小・中・高という教育段階に沿って調査データからのさまざまな知見をひとつずつ積み上げることによって、どのぐらいそうなってるのか実際のところをきっちり説得力をもって示している。まぁ、日本だけが突出した教育格差社会だというわけではなくて、どんな国でも教育格差はあるわけで日本もそのうちの「凡庸な」教育格差社会のひとつではあるのだけれど、しかしそれはやはり、がんばってなくしていきましょうよ、そのほうがいいわけでしょう、ということであって、そのためには、平等とか格差とかいうテーマをきちんと自覚しながら、また本書のようにきちんとデータに基づきながら、教育制度を組み立てていくことが必要ですよねということになる。
でまぁ、教育格差に関するデータに基づいた検討を全部乗せというかんじの新書で、秋学期にちょうど学歴社会論をやるのでそこでどんどん参照して強めにお勧めするつもり。