研究室のデスクトップのスキャナ問題。Foxitのフリーソフトでなんとなくうまいこといけるか。

この夏に、研究室のデスクトップPCをWin10のに乗り換えた。10年ぐらい使ってたので、ドライバとかのぐあいで周辺機器がうまくつながるかちょっと心配してたのだけれど、そこそこうまくいった。ただ、ドキュメントスキャナが、ドライバは入ったものの、付属ソフトのPDFの処理がAcrobatで、そのAcrobatの認証がどうにも通らなくなっていていたので、結局うまくいかないかんじになってしまった。
研究室のデスクトップを買い変えつつある。Win10ってうざいなぁ…(OSが変わるときはいつも思うのだけれど)。 - クリッピングとメモ
それで、まぁ力任せでやれば(仮想プリンタとしてpdf化はできなくはないので、スキャナの操作でいっぺんにPDFファイルにしようとせず、ページ数ぶんのjpeg画像にしておいてから、まとめて仮想プリンタでpdfにする、とか)できなくないなあ等々思っていたが、仮想プリンタというのは印刷の画面からプリンタ選択をいじらないといけなくて、ところが大学のネットワーク上に複数のじぶんのではないプリンタが見えているので、プリンタ選択を始終ごじゃごじゃやってるとなんか下手してよそのどこかの研究室のプリンタに極秘書類を出力してしまうような不安に駆られる(そんなことあるのか?)。なので、仮想プリンタじゃないPDF作成ソフトのフリーソフトないかなあと探して、まぁ以前自分のほかのPCに入れたことのあるFoxitReaderを入れてみたら、
Foxit Reader | FoxitJapan, Inc. | PDF Converter PDF Editor Edit and Convert html, Word files to PDF
なんと立ち上げた状態の画面のツールバーに「PDFをスキャナから作成」のボタンがあって、それでドキュメントスキャナを指定したらちゃんと動いてPDFが作成されてしまった。おやまあ。
まぁ、純正の付属ソフトよりも動きが遅いみたいだとか、スキャナのジョブの設定が細かくできるんだろうかとか、まぁOCRどうなるんだっけとか、気にならなくもないのだけれど、ともあれそれなりに使えるようになったわけで、なによりである。どうせ使い道といえばほとんど白黒の文字情報だけの文書をスキャンするんだし、まぁいいかというものである。
ていうか、じっさい、もうスキャナ本体だって10年選手なのでこのさい新しいのに買い替えようか、公費で買おうか私費で買おうか、Amazonで買おうか大学で入りの業者さんにお願いしようか大学から自転車で少し行ったところの家電量販店で買おうか、あるいは下宿の新PCのために買ったままになってるやつを大学のほうに抱えて持っていくか、昨日今日明日というレベルでかなり具体的に悩みつつ行動に移しかけていた矢先だったので、悩みがさしあたりなくなったようだというのはさしあたり、にわかには信じられないくらいに、やはり朗報なのだった。

通勤電車で読む『 教師が変わる!授業が変わる!「ファシリテーション・グラフィック」入門』。

教師が変わる!授業が変わる!「ファシリテーション・グラフィック」入門

教師が変わる!授業が変わる!「ファシリテーション・グラフィック」入門

なんかどれを読んでどれを読んでないのかわかんなくなってるけれど、ともあれ、学生さんにこのあたりの話をするということでおさらいしつつ見てみたらなんか読んだ感じがなかったのであらためて。これ、薄いんだけど、具体的でよかった。現職の若い小学校の先生が著者で、第一部では堀・加藤『ファシリテーション・グラフィック』なんかを参照しつつ理屈とTIPSとを簡潔にまとめていて、第二部では授業とか校内研修とかでFGをやった経験をたどりつつ事例として紹介してる。なんか、自分がFGに本格的に取り組んで1年、とか書いてあってだいじょうぶかな?と思うけれど、あとがきには1年間で200枚以上のグラフィックを書き続けてどうのこうの、と書いてあるので、たぶん、向いてた、というのと、荒行のようにハードなFGライフを送った1年だった、ということなのかも。いや、この本はよかったですよ。それで、じつはこの著者の人、本というよりDVDで見た人なのだった:
『明日の教室』DVDシリーズ「ファシリテーション入門」「ファシリテーショングラフィック入門」見た。学生にも見せたいなあ。 - クリッピングとメモ
DVDのほうの感想を読み返すと、面白かったと言いつつびみょうな評価をしてたりもして(直接的には、この著者の人に対してというより、DVDのコーディネーターの人に対してのようではあるが)おもしろい。DVDのほうでは、コーディネーターの人に引っ張られて、「ようするに楽しいのがファシグラ」みたいにまとめられてしまったきらいがあるが、それだと芯をはずしてしまう。FGのキモは、議論をリアルタイムで見える化していきながらそれを参加者たちが共視しながら議論を進める、というところにあるわけで、そういう再帰的な構造を視線の構造とか参加の物理的な空間構造に置き換えるしかけがポイントなんである。そのへんの視線の構造みたいなことは、こっちの本ではちゃんとはずさずに書いてあったのでよかった。

『先生を流産させる会』みた。ハードボイルド。おまけでついてた短篇「廃棄少女」はプロトタイプかと思ったら後から作ったらしい。

先生を流産させる会 [DVD]

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学生さんセレクションの映画をみるシリーズ。どんなのかなと思って検索したら、上映時間62分、監督は映画美学校出身、ということで、ちょっと興味をひかれた。実際の事件に想を得たということで、まぁ聞いたことはある事件だけど、映画では女子中学生5人組の話になっている。まぁ気分悪い映画であることは予測されるわけである。
でまぁ、見たら、まぁ気分悪いのは確かだとして、これ何の映画か、ということで思いついたのはハードボイルド、ということ。見ていて第一印象は、とにかく登場する生徒たちが、内面がないというかひたすら精神の内容が貧困というか空疎というか、何も考えてないのレベルを通り越して人間として成立してないかんじで荒涼としてる。それでそういう生徒たちが地方のしんどそうな女子校の中学の教室で、公然と、主人公を流産させるための行動をとる。ここで学校というのは、生徒に何をされても教師は反撃できないという無法地帯というセッティングになっている。それで主人公がこれまた、生徒からの攻撃に怯えるとかなんとかそういう内面性をこれまた欠いていて、攻撃されてもむくっと起き上がっては生徒たちと対決しようとする。というわけで、これはハードボイルドというやつかな、と。いやまぁ、ハードボイルドと呼ぶにはクールさが欠けてるような - なにしろ気分悪い題材なので - 気はしなくはないけれど。この映画を見て実際の事件についてとか現在の学校問題について知るとか考えるとかというよりも、いまの日本でハードボイルドを成立させるために、地方の荒涼とした風景(雑草だらけの空き地とか田んぼの向こうに浮かび上がる潰れたラブホの廃墟とかさびれた夜のショッピングセンターとか)とか疲弊した中学校とかを舞台に、内面を欠いた登場人物たちが対決するストーリーを選んだ、ということかという気もした。まぁ、そういうハードボイルド的というか、内面性というか人間性というかそういうものを欠落させたおはなしの舞台に選ばれてしまうというところから、学校という場について考える、という手はあるかもしれない、かな。中学生側はともかく、この主人公が精神性を欠落させて何度も起き上がり生徒と対決するのは、理屈としては、「教師だから」というロジックだけを抽象的に取り出したらこうなりましたという以外にないように見える。そうじゃなかったら、つまり多少なりとも現実を反映させようとしてたなら、この主人公はさっさと休職するなり警察に訴えるなりするだろうし、すくなくともこの主人公の夫とか家族とかが止めるなり訴えるなりするだろうし、まぁそういうリアリズムをきれいさっぱり排したうえでこの映画は成立しているんだから、この映画から現実を知ろうとしても無駄なんである。思春期を迎えて揺れる少女たちの心のふるえとか彼女たちに命懸けで向き合う女性教師の姿勢だとかそういうのを求めても何もないよと。ただ、抽象的な、学校とか教育とか、教師とか、(教育される以前の基体としての)生徒とか、(生徒の利害のみに忠実にエゴイスティックに動く)保護者とか、そういう理念型について考えることはできるかも、みたいなはなし。
DVDについてた特典映像の中に、短篇の「廃棄少女」というのがあったが、あるいみで本作のプロトタイプというかんじもあった。学校のようなところを舞台に、5人ぐらい?のぼろぼろのジャージ姿の女子(ひとりだけ赤ジャージ)たちが、ぼろぼろのつなぎ&ガスマスクの敵と戦う、みたいなのなんだが、まぁたぶんほぼ素人に近い小汚い中学生たちを使ってるところとかも含め、本作のプロトタイプ
 - かと思ったら、本作の後に同じ中学生を集めて、「3.11以降の「明日」への思いを描いた」という、「311仙台短篇映画祭のプロジェクト作品として出品した」ものらしい。あのガスマスクとつなぎは「防護服」で3.11以降というのを表現してたらしい。そうなのか。それにしても殺陣が(演技も編集も)へたくそだったんでてっきり若い頃の習作とか本編をつくるまえのプロトタイプみたいなものかと思ってた。
『先生を流産させる会』に出演した少女たちが3.11後の不毛の地で死闘する『廃棄少女』、ブルーレイ&DVDに収録 - シネマトゥデイ

うーん、「ハードボイルド」と言い切ることができないことに関連して。監督の出発点が、「先生を流産させる会」という言葉のまがまがしさ、にあるということで、つまりこの作品の中で中学生たちが内面を欠いていて精神が貧困であることが、「まがまがしいもの」として主題化されてる、というところがポイントなのかな。たとえば西部劇の登場人物に内面はないけどだからこそ爽快である、ハードボイルドの探偵に内面はないけれどだからこそクールである、というのとちがって、内面がないことそのもののまがまがしい感触を主題にしようとしてるところがポイントだとか。高橋洋清水崇に引かれて映画美学校に入ったホラー好きの監督、というあたりがやはり出てるというか。
・・・でも、「ホラー」とも言い切りづらいところもあって、なぜならここには「恐怖」がないというか、主人公が恐怖するような場面でも恐怖せず、対決に向かうので。そこだけをとるとハードボイルドと言いたくなる気持ちもやはりでてくるわけである。

先生を流産させる会 - Wikipedia
監督・脚本・製作の内藤瑛亮は、製作の理由について、「“先生を流産させる会”は実際にあった事件。この言葉に、いちばんの衝撃を受けたんです。こういう悪意の在り方は自分には想像しえなかった。流産させても殺人罪にはならない。でも、“先生を殺す会”よりも“先生を流産させる会”という言葉のほうが、遥かにまがまがしく、おぞましい。それはなぜなんだろう。そう思ったことが企画の始まりでした」と述べた

http://www.eigabigakkou.com/interview3
——映画美学校に決めた理由は?
そもそもがホラー好きなので、『リング』(98年)の脚本を手がけた高橋洋さんが教鞭をとっておられるということと、あとは第1期生の清水崇さんのサクセス・ストーリー感も決め手のひとつでした(編注:フィクション・コース初等科で提出した「3分ビデオ課題」が見出され、のちに『呪怨』を制作。ビデオ版から映画版、ハリウッド・リメイク版に至るヒット作となった)。でもその一方で、あまりよくないイメージもあったんです。ものすごくシネフィルの、頭のカタい感じの人が多いんだろうなあ、とか。俺は絶対にそっちには染まらない! という決意のもとに入学を決めました(笑)。・・・

まぁ、そういうことをつらつらと考えつつ、たとえば↓こんな記事を見ると、ふーん、と思ったりする。まぁ、この手の映画の売り方としては王道で正解というか。
あまりにむごい実話!女性教師を流産させようとする女子中学生たち…『先生を流産させる会』劇場公開決定 - シネマトゥデイ

下宿のデスクトップPCを買い替えた。

少し前から下宿のデスクトップの様子がびみょうにおかしくて、ときどき立ち上がらないことがおこってた。それで、Win7のサポートも切れるということらしいし、Win10機に買い替えるかなと思ってたところではあったのである。それでまぁ、amazonをあれこれ見てみたけれど、しばらく見ないうちにさっぱり様子がわからなくなってて参った。よくわからないメーカーが増えて、どれがよさそうなのかよくわからない。それでしかたないのでえいやで選んで、聞いたことのある(というより昔懐かしいヒューレット・パッカードですね)、HPの小型のを注文してみた。それでしばらくして届いたのだけれど、今やってる書き物の仕事がたしょう一段落しない状態で現役のを引退させるわけにもいかず、一週間ほどは段ボールの封も切らずに置いていた。でまぁ、ぶじ一段落ということで置き換え。手のひらに乗る超小型というのはまずまずそのとおりで、手のひらサイズではないにせよ手に乗せることはできる、小さい本ぐらいのサイズ感。DVDドライブがついてないってのもあるね。WiFiが内蔵と書いてあったと思ったのに、実物にはなさそうだったので、いままでのデスクトップにつないでたWiFi受信アンテナをつないだけど今のところやけに不安定なのが気に入らない。対策すればなんとかなると思うけれど。プリンタは無事「標準ドライバ」というのでつながったようだ。なにはともあれChromeを入れた。前のデスクトップは最近Chromeの調子が一時わるくて、Vivaldiを入れて使ってたけど、まぁ積極的に良いという感触もなかったし、とりあえずChromeテキストエディタはとりあえず「サクラエディタ」。Officeが入ってないので、別に買って入れねばなのだけれど、とりあえずOpenOfficeを入れた。勉強机がちょっと広くなったような感じはあるね。

OpenOffice、いちおうファイルは開けて見れるけど書式が崩れるのでやはりメイン機に使う気にはならんな。というか、ファイルのアイコンが地味でデスクトップがどんよりして気が滅入る。ついでにいうとサクラエディタもアイコンがださくて気が滅入る。ていうかMKエディタをググってるんだがいまいちでてこなくて、Vectorの該当ページは10年近く前の、Vista対応ぐらいで止まってるようにも見えてあれれ?となる。サポート終ってるのかなぁ?

まえのやつを買ったのが2014年。
けっきょく下宿にデスクトップを買いました。マウスコンピューター。 - クリッピングとメモ
このまえ確認したけどOfficeが入ってて8まんいくらかだったかな? で、今度のやつが7まん弱ぐらいでOffice別売りなので、ちょっと割高なかんじのはず。いまのところ、OpenOfficeサクラエディタのぐあいできわめてパッとしない見た目になってる。とりあえずはやくOffice入れないとな。

FFFtpの設定。最初に導入したのが20年以上前なので、ニフティとかはホスト名とか変わってたりしてちょっと苦労したが、まぁ完了。
Officeは、円盤を買ってくるというやりかたがなくなっているのを知り、うんざりする。Microsoftアカウント?なんでそんなの作るの?等々イライラしてたが、FFFtpの設定を書いた紙を探しているうちに自分がMicrosoftアカウントも登録してた形跡が見つかる。それで試しにログインしてみたら、あれこれあったができた。あれこれ、というのは、なんかわからんけどたぶん新しいマシンで初めてログインしたということで、向こうからしたら「知らない端末からのログイン」ってことで、不審な操作扱いされたということ。で、携帯電話番号を入れろ等言ってきて、なんで電話まで教えなあかんねんと思ったが乗り掛かった舟なので入力したらまぁ先に進んでうまくいきました。うんざりだ。とりあえず午前はここまで。Officeの導入はのちほど。

ようやくOffice導入。オンラインで購入してダウンロード→インストール、という手順だが、なぜかインストールの段階で「2%」で動かなくなってしまう。そのへんは、回線は遅いし不安定だし(なにせ自宅でもネット環境はポケットwifiで無線なので)、この新しいPCだってまだ100%信頼しているわけではないわけだし、とにかく後ろ暗いところはあれこれある。ところが、「インストール中なのでオフラインにするなよ、再起動もするな」という表示なので手も足も出ないかんじではある。それでしばらく待っていたり、まぁ恐る恐るポケットwifiをUSB接続に切り替えてみたり、あとOfficeのインストールが進まないというのをググってみたりして、思案しつつ、セキュリティソフトが止めてる説というのを見て、ちょっといじってるうちになんかよくわかんないけどインストールが再び進み始めた。それであとはまず無事にインストール完了。やれやれ。あ、あと、テキストエディタはMKエディタ(たぶん古いバージョンなのだが)を入れた。あと、Adobeのリーダーを入れた。PDFはとりあえずedgeに関連付けて読んでたけど、まぁAcrobatで。

Outlookが立ち上がらない。再起動すると立ち上がるのか。でまた立ち上がらない。なんかめんどくさくなるな。

あれ。Outlook立ち上がるな。そういえばWifiがぶつぶつ切れる症状もなくなったかもしれない。なんでしょうね、こういう、つかってるうちになんとなくうまくいくようになるというのは、気のせいなのかね。ひとつには、さいしょのうちは更新プログラムのダウンロードがあったりして不安定だ、みたいなこともあるのかもしれないと勝手に想像しているけどそれは素人の想像。

通勤電車で読んでた『限界芸術「面白い話」による音声言語・オラリティの研究』。コーパスをWeb公開してるのか。

限界芸術「面白い話」による音声言語・オラリティの研究

限界芸術「面白い話」による音声言語・オラリティの研究

『煩悩の文法』の著者の人の編著。
通勤電車で読む『煩悩の文法』。 - クリッピングとメモ
で、この本では編者の人はイントロだけ書いてて、なんか、「民間話芸調査研究プロジェクト」a.k.a.「わたしのちょっと面白い話プロジェクト」というのがあるのだそうで、この編者の人たちが2010年から、「面白い話のコンテストを開催して、コーパスを作る」というの。そのWebサイトがある。学術目的に誰でも使えるということです。
「わたしのちょっと面白い話コンテスト」公式サイト
でまぁそもそもこの動画集の、ふつうのしろうとが喋る、正直そんなにおもしろくないちょっと面白い話、というのが、みょうにクセになる。また、日本語を母語としない人が喋ると、なるほど、「流暢な日本語で語る面白い話」の言語形式がとられてない感じがするのもあってまたみょうにクセになる。
「わたしのちょっと面白い話コンテスト」第3回投稿作品
「わたしのちょっと面白い話コンテスト」2010投稿作品
「わたしのちょっと面白い話」第5回投稿作品日本語学習者の部
「わたしのちょっと面白い話」第5回投稿作品日本語学習者の部
「わたしのちょっと面白い話」日本語学習者の部 投稿作品
「わたしのちょっと面白い話」日本語学習者の部 投稿作品
で、この本、いろんな人たちが論文を寄せている。言語学と限ったわけでもなくて、まぁコーパスを使ってるから広い意味では言語に関する議論ではあれ、笑いに関する議論もあれば(そのなかでもたとえばサックスのダーティージョーク論文が紹介されたりもする)、笑いと関係ない文法の議論もあれば、翻訳論もあれば文化論もあり、エスニックジョークについての紹介がいろいろあったりもする。まぁやはりせっかくなので言語学っぽい話のほうが面白くはあるのだけれど、その前提として、こういう「面白い話をしましょう」となったときにしぜんと自分の体験談を喋るというのは、日本では当たり前だけれど、欧米では当たり前ではないよ、欧米では「ジョーク」を披露するよ、という説があるらしく、一瞬なるほどということになるのだけれど、まぁじつはそうでもなくて「ジョーク」のほうが特殊で「体験談」のほうが通文化的だよ、みたいな論文が掲載されていたりする。しかしいずれにせよそんなこと思ったこともなかったので、なるほどねえと(「日本語による、体験の語り」というあたりで『煩悩の文法』の議論につながるのだろう)。で、このコーパスには外国語を母語とする日本語学習者が日本語で語るのもあり、そのなかには不思議な印象の残るものもある。本の中で紹介されていてさっぱりおもしろさがわからなかったもの「本当のロシアの男の話」
「わたしのちょっと面白い話」投稿作品
で、見てみてもたぶん日本語でいうところの「面白い話」ではないし、母語かどうか、流暢かどうかというのと別のレベルだと思ったのだけれど、見てみてわかったのは、本人はすごく面白いと思って喋っているし、たしかになんかおもしろいというかクセになるということ。