『日本のありふれた心理療法』読んだ。これはいい本。『居るのはつらいよ』の人のちゃんとした論文集。

このまえから『居るのはつらいよ』の人の本を読んでて、これは、ちゃんとした心理臨床の論文集。査読論文がまとめられたものだけれど、一貫した問題意識がある。で、おもしろかった。「ありふれた」というのがみそで、つまり、いま日本でふつうにやっている心理療法家のひとたちは、いろんなところ、たとえば病院とかクリニックとか、福祉施設とか学校とか企業とか、まぁいろいろなところで仕事をしていて、そういうところでは、理論的に模範とされるような心理療法がかならず行われるわけでは、まぁ、ないわけで、いろいろな制約の中で実践が行われている。また(それともからむけれど)、そもそも欧米発祥の心理療法がそのままのかたちで日本のクライアントに行われるものでもない(そのことについては、土居健郎「甘えの構造」とか河合隼雄「母性社会」「中空構造」とかいろんな理論化もこころみられた)。で、そういう「ありふれた心理療法」というのを、なにか理論からはずれて堕落した不完全なものとしてでなく、それじたいとして見ることの意義というのもあるじゃないか、という問題意識。むしろそういう「ありふれた」実践の折衷的なありかたのなかで、にもかかわらず成立している(あるいは、折衷的であることではじめて成立している)「心理療法」とは一体何か、という。で、著者の人はご存知、沖縄で臨床をやってたこともあって、ケースにはいろいろな文化的社会的経済的その他その他の制約が含まれていて、その中でどのように「心理臨床」が成り立つのか、その様子を検討してるというのは面白い。
で、前半の「ありふれた心理臨床」という視点をみたときには、やはりいつもながら、自分にとって決定的だった『症例研究・寂しい女』の山中先生を思い出していた。で、やはりケースが扱われる後半では著者自身の持ち味が出ているけれど、とくに沖縄のシャーマニックな文化の影が濃いクライアントさんの章を見て、『夢の分析』『セラピストは夢をどうとらえるか』のことも思い出したりしていた。
枕元において読んでた『セラピストは夢をどうとらえるか―五人の夢分析家による同一事例の解釈』。おもしろかった。同じ釜の飯を食べていた人たちだなあという感想もだけど。 - クリッピングとメモ
あとまぁ、2章と8章が、著者の人の修業時代とか学生時代のおはなしで、個人的にはちょっと懐かしいかんじもする。地下の書庫に降りる階段の感じとか。