『ホモ・エコノミクス』読んだ。
先日、新書本を3冊買って、学生さんに勧めるかなあというのがそのうち1冊半ぐらい、で、これは学生さんに勧めるうちには入らない、自分が読もうと思って買ったのを読んだ。テイストとしては著者のいっこ前の新書(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20131130/p1)に近いような。ていうか先日読んだ『狂い咲く、フーコー』(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/02/24/015615)でコメンテーター役をやってはって、その中でシカゴ学派(経済学のほうの)のはなしとかも話題になっていたわけで、まぁ本書も読んでみるべしと。で、なんで学生さんに勧める新書本のリストに入れないかというと、まぁ、入学試験で本書著者の文章の読解を課していて話題となったさる大学とはちがって、まぁじぶんのところの学生さんには、まぁ現代思想や政治思想史の専攻でもないわけだからこうした本を読みこなすことを入学の条件としてるわけでもないし、まぁ必要なら入学してから読みたい人が勉強すればいいよね、難しいもんね、というぐらいのつもりで、まぁ特に50冊のリストのうちの1冊に入れようとまでは思わなかったというしだい。では自分自身としては読んでみてどうだったかということになるけれど、例によって文章の調子は軽口まじりで、しかも勉強になって、第1部と第3部のあたりで、まず全体の流れというか、ホモ・エコノミクスを人間の本性とするような捉え方は歴史上当たり前ではなかったけどいまや当然のように広がってるし規範化してるし有害だ、というのは、まぁそうだよねとなる。で、まぁ本書の一番力のこもってるところはたぶん第2部で、ジェヴォンズだのワルラスだのといった人たちが経済の分析に古典力学や数学をあやしげなやりかたで導入した経緯、でまたこれがなまじっか妙になんとなくそれっぽいかんじになっていらい、それこそが当然みたいな感じになって、社会科学のなかで経済学こそが最も自然科学的に洗練された科学なのだ、みんな見習うべきなのだ、となってきたよという経緯がえがかれている。でまぁそういう経緯を系譜学的に見える化する作業はおもしろそうで、でまぁそれはそれとして、ホモ・エコノミクスが規範化して有害だよねというオチはなんとなくわかるわけで、えーとつまり第1部と第3部があれば第2部の系譜学はあんましいらないよねという読み方もありえそうに思われる。まぁそういういいかたはみもふたもないわけで、まぁやっぱりこの本でおもしろいのは第2部の、著者のひとがぼやきとか軽口とかを連発しながら進めていく系譜学のぶぶんなのだろうけど。