『大砂塵』みた。なるほど異様だなあ。すばらしい。

むかしに録画して、そのとき見たのかどうか、しかしなにはともあれあちこちですごい、異様だ、と書いてあって、それで先日『ショットとは何か』を読んだらまたすごいと書いてあって、これはやはり見ねばということで、見た。なるほど異様だった。異様な色彩(きつい原色…)、異様なサルーン、異様な衣装、もう若くないジョーン・クロフォードともう若くないスターリング・ヘイドンともう若くない悪漢とのぐじぐじした三角関係。もてない女が嫉妬に燃えて町の男たちを扇動しては執拗にジョーン・クロフォードを攻撃する。しじゅう山が爆破されていて、爆煙のなかを馬が走り抜ける。荒野の中に建てられた巨大なサルーンが炎上して崩れ落ちる前をこれまた馬が走り抜ける。純白のドレスを着たジョーン・クロフォードを喪服の男たちがリンチ、縛り首にする。クライマックスはもてない喪服の女とジョーン・クロフォードの対決。なんだこの西部劇。
『映画に目が眩んで 口語篇』で蓮實重彦山田宏一が対談していて、この映画についてたくさん喋っている。山田宏一がしきりに気持ち悪がっていて(その同じ点を)蓮實重彦がよかったとやたらうれしそうに語っている。

通勤電車で読む『どこでも成果を出す技術』。テレワークの時代に求められる力をまんべんなく。

『ここはウォーターフォール市、アジャイル町』の人(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/10/06/140440 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/10/07/124245)の本。タイトルの意味は、テレワークの時代なんだからそれに必要な力を身につけよう、ということで、

・ロジカルコミュニケーション
・セルフマネジメント
・ヘルプシーキング
クリティカルシンキング
・チームビルディング
・プロジェクトマネジメント
ファシリテーション
・ITスキル/リテラシー

の8つということである。まぁしかしこのへんはテレワークであろうがなかろうがいずれにせよ言われてることで、なので内容的にはいままで言われてるようなことをまんべんなく言ってるというかんじ。そのいみで、さほど目からうろこということでもないといういいかただってできるかもだが、まぁ、コンパクトにまんべんなくまとまってていいね、といういいかただってできるかもなわけである。で、たとえば「AREAの法則(主張→理由→証拠→主張)」などという、聞いたことありそうななさそうなものが紹介されてて、まぁしかし学生さんにパラグラフライティング/リーディングの説明とかトレーニングとかするときに、てきとうに「サンドイッチ構造」などと言っていたので、「AREAってのがあってね」というほうがもっともらしいかもしれない。みたいなようするに便利さはありそうな本。

通勤電車で読む『PTA、やらなきゃダメですか?』。こっち先に読むのがよかったかな。

先日読んだ『政治学者、PTA会長になる』(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/05/01/145713)の中でも言及されてた本。地域的にも近いみたいで、著者どうしも面識があるみたい。こっちのほうが先輩で、この本は2016年に出ているから、政治学者の人の本では、この本の著者は、驚くべき改革を成し遂げた「伝説のPTA会長」とも呼ばれている。で、じつはこの前の政治学者の人の本ではさいごのさいごのほうで、これまでずっとPTAや町会で学校や地域を支えてきた先達への敬意(を表しきれないまま改革を進めてしまったのではないかという後悔)が書かれていて、それは政治学者の人とこの本の著者の人が同じ思いを持っていたのだと書かれている。のだけれど、この本そのものでは、まぁ著者の人が伝説のPTA会長として驚くべき改革を成し遂げたよ、というところまでがコンパクトな新書にまとめられている。そういうあれでいうと、本書は、(その時流行っていた)『もしドラ』をお手本にしつつ、旧態依然とした前例踏襲主義の魔窟PTAをバッサバッサと見直しスリム化してついにボランティアベースの活動団体に作り替えて、大人も子どもも笑顔になったよ、という胸のすくお話になっている(著者の人は本の中では何回も感動で泣いてるんだけれど、読んでてちょっとせつない泣かせる話というよりは、さわやかな達成感の高まりによる感激の涙ってかんじですな)。で、いい本だよなあと思いつつ、まぁでもだからここに書かれなかった思いみたいなのもあるんだよなという読後感もあって、えーとつまり、こっちを先に読んでまずスカッとした後であっちを読むのが正解だったかなという気もした。

『機動警察パトレイバー the Movie』『機動警察パトレイバー2 the Movie』『WXIII 機動警察パトレイバー』みた。

パトレイバー、というのも、攻殻機動隊https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/02/21/222801 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/09/13/235754)とおなじく、自分的には世代だったけれど通ってこなかったもので、それが三週連続放送してたんで、見てみた。なんとなく、ロボット版のおまわりさんは大変だ的なアクションコメディ、を装いつつよくみるとけっこうな社会性を込めてるよ、ぐらいかなあとイメージしていたのだけれど、そもそも、劇場映画版ということで監督・押井守ってことで、1作目ですでに人物キャラクターの顔が妙にシリアス寄りになってて、2作目ではぜんぜん違う顔になってる。1作目はまだロボットアニメ感があったけれど、2作目は、なんていうか、押井守の描きたい世界観?のイメージビデオを見ているようなかんじで(『攻殻機動隊』を見た時の感想を読み返してみたら同じことを書いてたことに気づいたのでよほどなのだろう)、そもそもロボットがほとんど出てこない。でまぁ、3作目も覚悟をして見てたんだが、じつは3作目はそれなりに退屈せず見れた。えーと、ロボットは前作にもましてほとんど出てこないっていうか、なんか要するにふつうに刑事が捜査をするみたいなはなしなのだけれど、ふつうに謎の事件が起こり、おっさんと若手の二人組刑事が疲れた顔をしながら捜査を進め、謎の美人が出てきたりしつつ、お話はいたって地味に、しかし淡々と展開して、だんだん事件の真相がわかってきて、クライマックスは取り壊し寸前のスタジアムに怪物をおびき出してロボットが銀の弾丸を打ち込む。でもっていろいろな徒労感を残してキャメラが上昇して夜の暗闇の中にぼんやり光るスタジアムを空撮する、みたいな。いや、ふつうにわかりやすく見れたじゃないか、と思ってたらエンドロールを見たら監督が3作目は押井守じゃなかった。なるほど。ところで、これ、1作目を見てたら20世紀末ぐらいのおはなしで、ああ、90年代かぁ、と思って見てたら、1989年公開の作品で、つまり80年代末から見た近未来の話、ということだった。2作目もおなじく、1999-2002とかの話ということだけれど1993年公開。3作目は2000年の話ということだけれど公開は2002年、これは同時代か少し過去の話になってるけれど企画そのものは1995年ごろから始まってたということで、でもいずれにせよこれは時代をあまり感じさせないお話ではある(まぁ、途中でディスコなんかが出てきたあたりは90年代っぽくはあったのかな?)。
機動警察パトレイバー the Movie - Wikipedia
機動警察パトレイバー 2 the Movie - Wikipedia
WXIII 機動警察パトレイバー - Wikipedia

『ドリームガールズ』みた。

なんかたしか昔に録画してたはずだったが、あるとき見たいなと思ったときに見つからず、それでまたしばらくたったのだが、そのあとにまたテレビでやってて録画したのだろうと思うけれどいいかんじにそれも忘れていて、さっきふと何か見ようかなと思って積んどくの中から見つけたので、見てみた。シュープリームスみたいなガールズグループのおはなしなので、誰がリードボーカルになるのかとかの女子どうしのバチバチの話かと思ったけれど、まぁそういうのもあるにせよ、根本的には野心家のプロデューサーの男が強引&モラハラなせいで周りが離れていくよ、というのをソウルフルなミュージカル映画にしたもの。オリジナルメンバーで下積み時代にずっとリードボーカルだったパワフルなソウルシンガー女子がバランスを崩して脱退するところのラップ合戦ミュージカル場面がかっこよかったし、まぁミュージカル場面も歌唱場面もいずれもよかった。

通勤電車で読む『道徳教室:いい人じゃなきゃダメですか』。著者のノンフィクションのやり口が上手くいってないのでは。

『弱くても勝てます』の、というか、『素晴らしきラジオ体操』の、というか、まぁおもしろいノンフィクションを書く著者の本で、今回のテーマは「道徳」というのである。
このところ読んでいたもの。 - クリッピングとメモ
教育実習巡回指導の電車で読む『素晴らしきラジオ体操』。わらえるし勉強になる。 - クリッピングとメモ
通勤電車で読んだ『トラウマの国ニッポン』。 - クリッピングとメモ
『やせれば美人』。ダイエットをめぐるノンフィクション、あるいはダイエット版・お笑い版・「死の棘」。 - クリッピングとメモ
通勤電車で読む『はい、泳げません』。笑えるノンフィクション界の、〈狂気〉にかんする人類学的探求から〈生きられた身体〉の現象学へ。 - クリッピングとメモ
でまぁ、結論としては、いまいちだったかなあという。タイミングとしては「道徳」の教科化、ということで、道徳の教科書を読んだらずいぶん奇妙でした、というところが出発点。で、上記『はい、泳げません』の感想(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160606/p2)で次のごとくに書いた。

この著者のものをいくつか読んで、パターンがなんとなく見えてきた。「ラジオ体操」でも「開成高校野球部」でも「トラウマのカウンセリング」でも「ダイエット」でも、とにかくある種のマイナーな領域の人たちを取材して、その「論理」を描き出す。その人たちは何しろ変わったことをやっているわけだから、〈私たちの常識〉からすればおかしな論理であるように思われそうなのだけれど、よくよく取材をしてみれば、彼らの「論理」はそれなりに首尾一貫していて、むしろ〈私たちの常識〉よりも論理的であるような首尾一貫した論理性を有している。そしてその首尾一貫した論理性ゆえに、彼らの「論理」は〈私たちの常識〉が共有している(と信じている)〈現実〉から遊離していくし、そのように〈現実〉から遊離していくゆえの、彼らなりの「論理的な」つじつまあわせが、これまたそれなりに首尾一貫しつつ〈私たちの常識〉から見れば非現実的で滑稽でもある、というぐあい。で、そういう、〈私たちの常識〉からは異質であるような「論理」というのを、〈私たちの常識〉が〈狂気〉と呼ぶのだとしたら、この著者が繰り返し書いているのは、笑えるノンフィクションという形をとった、あれこれの〈狂気〉にかんする人類学的探求のようなものだ、ということもできなくもない。でもって、いうまでもなくそのばあい、この著者の人じしんが、ミイラ取りがミイラであるようなやりかたで、あるいは人類学者が野生の思考の語り手であるようなやり方で、〈狂気〉の語り手であって、だからこの著者のものに登場する変わった人たちはみな同じように見えるし、それはつまり著者その人に似ているんじゃないのということにもなり、エスノグラフィーの登場人物はエスノグラファー本人に似るというわたくしの説がここでもやっぱり確認されることにもなると思うのだけれど、

で、本書はというと、相手が「道徳」ということになる。学校教科としての「道徳」は〈私たちの常識〉からすれば奇妙でマイナーな領域であるとする。そして著者はその「道徳」の論理を描き出す。それが〈私たちの常識〉が共有している(と信じている)〈現実〉から遊離していき、ある種の〈狂気〉として立ち上がる、というふうに進めばいつものとおりなのだけれど、本書では、「道徳」が〈私たちの常識〉とイコールになってしまう。つまり、「みんな」というのが道徳の本体であって、したがって教科としての道徳の内容は、この社会のあちこちになんとなくひろがっている「みんな」に共有されているようにも見えるのだった。それを、サブタイトルのように「いい人じゃなきゃダメ」という言い方をすると、たとえば、世に広がっている「ハラスメント告発」も「いい人じゃなきゃダメ」という道徳の蔓延の事例、ということになる。ハラスメントで告発された人もハラスメントの被害者だ、みたいな言い方が出てくると、これはちょっといかがなものかと感じられるわけで、しょうもない「ポリコレ批判」みたいになる。この世に広がる「道徳」を著者が斬りまくる、みたいになると、なんだか様子がおかしくなるよなあ、と。