通勤電車で読んだ『同調行動のエスノメソドロジー』。

ビジネスコミュニケーションの場面において、日本人と中国人ではコミュニケーションのとくに「同調行動」のやりかたが違うのではないか、それがときに問題になることもあるのではないか、ということで、じっさいの場面の録画や実験的に設定された場面の録画をELANというソフトで分析して、いろいろなアクションの回数や秒数を表にしたりしながら、違いをあきらかにしている。
こういうスタイルの研究はあるなぁと思いつつ、西阪仰 (1997)『相互行為分析という視点―文化と心の社会学的記述』の、第2章「「日本人である」ことをすること:異文化性の相互行為的達成」だっけな、を思い浮かべつつ。

通勤電車で読んでた『本を売る技術』。たんに本好きというより本屋さんというシステムへの職業意識がすばらしいタイプの本好き。クール。

このまえ立ち寄ったかんじのいい本屋さん(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2024/03/18/212541)で買ったもう一冊。れいによってTwitterで見かけて面白そうだと思っていた本が売られていたので買ったわけである。本屋さん本というのは好きで特に一時期ちょいちょい買っていたけれど、ひさびさではある。著者の人は1980年に東京の芳林堂書店池袋本店ってとこから書店員人生をスタート、そこからパルコブックセンター新所沢店、吉祥寺店、渋谷店、そして合併統合によりリブロ池袋本店に異動、2015年閉店まで勤務、36年間売り場で本を売り続けた人、なのだそうだ。で、この本、正確にはインタビューというか聞き書きの形で書いてあるので、まぁ読みやすいし、タイトルそのままに技術論を語っているので、たぶんある種の書店員の人が読んだらとても勉強になるだろうな、という本で、しかし面白いので書店員じゃなくても面白く読める。
本の内容的には紹介記事↓があるわけだが
business.nikkei.com
www.tokyo-np.co.jp
読みながらなんとなく思っていていま著者の人の経歴を書き写しながら改めて思ったのは、「リブロ」っつったらTitleって本屋さんがもとリブロだとか(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20170520/p1)、『書店風雲録』『書店繁盛記』のひとがもとリブロだとか(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160630/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160703/p1)、そうすると、イメージとしては「80年代ニューアカ」を仕掛けた「文脈棚」の本屋さん、みたいなのを思い出したり、あるいは他方では『書店繁盛記』で描かれたような、アマゾンの攻勢は激しい、取次がこちらの欲しい本を寄越さない、みたいなのを思い出したりしながら、うーむ、そういうのとイメージ違うんだよなあというのがこの本の印象。ひとつには、自分の好きな本への思い入れ、みたいなものに動かされてなくて、売れる本をきちんと売れる場所に置き、棚や棚下や平台に理にかなったやり方で本を並べ小まめに並べ直し、売れない本をきちんと見極めて返本し、お客さんにとって常に新鮮な本が並んでいるようにする、というのをきちんとやっていくことでよい本屋さんができる、という。たんに本好きというより本屋さんというシステムへの職業意識がすばらしいタイプの本好き、という印象。そうすると、なにか自分の考えやらセンスやらで棚を作って仕掛ける、とか、情熱を込めたPOPでその本の良さを客に伝える、みたいなのはあまりやらないと。むしろそういうのは、書店員の人自身が「棚に癒される」「POPに癒される」ほうが主じゃないかと(POPが立ってると後ろの本が見えなくなるからよくないとか)。そのへんはまぁしょうじき共感するところはあって、本屋さんが自分のセンスで棚を作りました!!みたいなのは、まぁとくに自ジャンル解釈違いみたいだったりするとけっこうイラっとしたりすることもままあるわけで、それよりは、いつ行ってもどこか新しい発見のある、回転のいい本屋さんのほうが好感が持てるってのはあるよなあと。あと、しかし、これも前に読んだような「アマゾンの攻勢は激しい、取次がこちらの欲しい本を寄越さない」状況というのがあんまり表立って語られてないわけで、そのあたりは気持ちよく読めるのだけれど、でもちょっとほんとかなあという気もしてくるし、いちどに何百冊入荷、平台に多面展開するには、みたいな話は今の全国の本屋さんの中ではごくごく限られた、東京とかの大規模店の勝ち組の方法論なのかもなあという気もしてくる。

途中下車して本屋さんで買って読んだ『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』。

tohon.shop-pro.jp
通勤電車に乗っていたら電話がかかってきて、ちょうど駅だったのでぱっと降りて電話に出た。それで案件がとてもいいぐあいに解決してよかったし、アポの時刻も夕方になって、そしてふと気が付くと、その駅はこのまえ少し散歩していい感じの本屋さんがあったところだったのだ。ちょうど探してる本があって、それでそのまま改札を出て、駅前の本屋さんを物色して、それからまた少し歩いていい感じの本屋さんに入って、まぁ探してた本はなかったのだけれどなんとなく気になってた本があったので2冊ばかり購入。でまた駅前の本屋さんに戻って1冊買って、それでまた電車に乗って出勤、アポの時間まで読んだりしてた。
ところでこの『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』という本をさいしょに何で見かけたのか、思い出せないのだけれど、なにか気になってた小説を検索してたらなにかのながれで画面に出てきて気になったとか、たぶんそんな感じだと思う。それでいい感じの本屋さんに行ったら並べてあって、なんとなく購入。なんか、文庫版サイズだけれど、リトルプレスというのだそうで手作り感のある小さい本で、内容としては、歌人でもある著者の人が18歳で東京に出てきて働いてた頃のあれこれを書いたエッセイ。

そういうわけで大学で使う用のノートPCを購入。

このまえから調子が悪くなっていた大学で使う用のノートPC(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2024/02/29/150224)、とっとと見切りをつけて新しいのを買うことにした。でまぁamazonでまた激安のものを物色、結局適当にさいしょのほうに出てきたやつを朝、出がけにクリック一発で発注したら夜帰宅したら自分より先に下宿に届いていた。世の中は狂っているね。Amazonの配達のひと、ほんとうにおつかれさまです。
で、SERYUBという、もう読み方もわからないようなメーカー(検索してみたらどうやらやはり中国の深圳のメーカーのようですね)のもので、お値段はおどろきの27,988円。お色は華やかなローズゴールド(なんか3色のカラバリで、ローズゴールドが一番安いみたい。売れないのかな。わたしはかまわない)。いまそれで書いてるけど、まぁ例によってキーボードが日本語のではないので日本語切替のキーがないのが使いにくいけどそれは前のもそうだったからいいことにする。
れいによって筐体がちゃちっぽいけどまぁ気にしない。雑に使いたくて安いのを買っているわけだから、まぁせいぜい雑に使う。

こういうのは調べてみるもんだね。USキーボードには日本語切替キーがついてないので、「ALT」+「‘」でいけるのだと。はいいけました。なるほどねえ。「‘」というのは、日本語キーボードの日本語切替キーの場所にあるキーなので、つまりそれを「ALT」といっしょに押せばいいんだよと。はいはい。こういうのはおっくうがらずにしらべるとだいたいでてくるね。

4/10.
基本的には使えているのだろうが、現時点ちょっとむつかしいのが、ふだん学科会議をやる共同研究室でwifiの電波がちょっと弱いようだということ。で、みんなで「弱いですね」と言ってはいるのだけれど、なんかほかの人のPCはなんとなくつながってるところ、私のPCだけつながらなかったりぶつぶつ切れたりするかんじがある。そこのところが激安PCだからだろうと思ったわけだけれど、つまり、アンテナの部品が粗悪なのではと。そういうことがあるのか。でまぁ、基本的にその共同研究室の電波の弱さについては以前から情シスさんに報告していて、いちど対応をしていただいて、こんどまたもういちど調整してもらう予定。で、wifiの電波がある程度の水準でさえあればとくに問題はないわけなので、それをPCの不具合に数え入れるのも酷な気もしなくもない。
ともあれ何か簡単な対策があればほどこすべしということで、外付けの無線lan子機を買ってつないでみたりした。結論としてはあまり改善されないみたい。そんなもんなのかな。まぁ、1600円ほどの子機なのでこれ自体安物であるわけだけれど、しかし激安PCを買うというゲームで無線lan子機を上等にするというのは負けた気がするわけじゃないですか。
流れで、無線lanの電波状況を測定するフリーソフトを入れて可視化してみたりしている。
forest.watch.impress.co.jp
おもしろくはあるけれど、まぁすでに事実として電波が入らないで困っている場所でたしかに電波が弱いことが見える化されているだけなのでとくに新発見があるというわけではない。まぁな。外付け子機をつないでもあまり数値が変わらないように見えるのは少し面白くて、つまりこのソフトで可視化されている数値はアンテナの性能に依存しているのかいないのかという疑問がでてくる。ソフトの性格上、見える化されているのは「電波の強さ」なわけだからそれはアンテナの性能から独立して「客観的に・外側に存在する」ものだという建前である。しかしそれを測定するにはアンテナを使ってるわけだからアンテナの性能に依存してるんじゃないの?と当然思う。それでは外部アンテナを付けたら数値が画期的に変わるかというとあまりかわらない。そういうものなのか。

通勤電車で読んでた『翔んでるケインズ』。1983年の「イラストで読むケインズ」はとにかく1983年感。

ふとケインズのことが気になって…というかようするに、大阪万博についてTwitterなどでいろんなひとがわいわいいってるのを見つつ、ふと、「穴掘って埋める」というのを思い出したわけである。穴掘って埋めるだけで効果があるなら、大阪万博だってまさに穴掘って埋めるというか地盤が軟弱で文字通り穴掘って埋めてるんだろうし建造物にせよなんにせよ穴掘って埋めようとしてるわけでまことにけっこうとならないのか、と考えてみる。でまぁもちろん、公共事業をやっても別のところでケチって支出を減らそうとしてたりしたら穴掘って埋める効果が帳消しなのかな、と思ってみたり、まぁ公共事業をやっても身内優先で金が回るようなら文句は出るかもなとか、その身内がケチで乗数効果がさっぱり効いてこなければやっぱりいまいちなのかなとか、まぁもちろんどうせ公共事業をやるならほんとに穴掘って埋めるよりはもっと世の人の喜ぶことをやればいいわけだけれど、まぁすくなくとも、穴掘って埋めるのをやろうとしてるのを無駄だと言って中止すべきという以外に話の持って行き方があるかもしれないよ、だって穴掘って埋めるのは無駄だから中止すべきってだけなら「福祉は無駄だからカットしろ」「大学は無駄だからカットしろ」みたいなことと変わらんじゃないか、とか、つらつら考え、ともあれ、「穴掘って埋める」というのが気になったわけである。
でまぁ、さしあたり検索したら、「穴掘って埋める」は不正確、というのが出てきたね:
toyokeizai.net

…実際には、ケインズは、著作の中で、不況で失業者が生じている時に、自由放任を信条とする政治家たちに対して、何もしないでいるよりはお札を詰めた壺を廃坑に埋めるとかした方がまだましだという皮肉を言ったのでした。しかも、それに続けて、「もちろん、住宅やそれに類するものを建てる方がいっそう賢明であろう。しかし、もしそうすることに政治的、実際的困難があるとすれば、上述のことはなにもしないよりはまさっているであろう」と書いています。住宅建設など、より賢明な公共投資がやりたいならば、もちろん、その方がいいとケインズははっきりと言っているわけです(以下、J・M・ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』(東洋経済新報社)を参照)。
 
ところが、世の中では、この表現のニュアンスを理解できないどころか、ケインズが書いたものすら読まずに、「ケインズのように、穴を掘って埋めればいいなどというものではない」などといった言い回しで、財政政策を批判する人が後を絶ちません。

ふむ。なんだかよけいわからないというか、「穴掘って埋めるだけでいい」なら理屈としてわかりやすいけれど、「お札を詰めた壺を廃坑に埋めるとかした方がまだましだ」というのは、なにしろその「お札を詰めた壺」が何の比喩かわからないっていうか、「廃坑に埋め」てしまったらそのお金が市場から消えてしまうので乗数効果も効かなくなってしまうのでは、とか、よけいいみがわからなくなってしまわなくはない。
ともあれ、ひさびさに読んでみようと、じつは学生時代に買っていちおう読んで以来ずっと研究室の本棚に並べて幾星霜の『翔んでるケインズ』を読み直してみたわけである。奥付を見ると1983年の本で、自分が買ったのも学生かたぶん正確には院生のころに古本屋で買った(ケインズフリードマンサミュエルソンガルブレイスの4冊を買った)んだと記憶しているけれど、まぁ、ノリとしては日本版・経済学者版のフォー・ビギナーズみたいなかんじで、それっぽいイラスト入りでケインズの足跡と理論とその影響をわかりやすく紹介してる。でまぁ、かんじんの「穴掘って埋める」のくだりは出てこなかったのでよくわからなかったけれど、しょうじきいちばんの印象は、これが1983年の本だということだった。イギリスはサッチャー時代。アメリカはレーガン。で、日本はバブル景気よりは手前、でもそれなりの上昇感はあったかんじ。まさかこの後、バブル崩壊とデフレの陰鬱な未来がくることになるとは思ってなかったよなあ。

通勤電車で読んでた『厄災と性愛』『闘争と統治』。

まぁ春休みといえるかまぁ出勤してるわけだけれど通勤電車で春休みらしいもの(?)をということで、まぁつんどくの中から。

BAND-MAIDのリアクション動画に手を出している。海外の知らん女子たちがハートを持ってかれてるのを見るのは楽しい。

YouTubeのリアクション動画で、花冷え。のリアクション動画をずっと見ている(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2023/10/23/212456)わけだが、そうするとごく自然に、動画のコメント欄などで、NemophilaとBAND-MAIDとLovebites(と、たまにGacharicSpin)を薦める書き込みを多く目にすることになり、また花冷え。のリアクションをやっている人がそれらのバンドの曲のリアクションをしていることもあり、まぁ、ひととおり見ることになるわけだけれど、まぁまずNemophilaをあれこれ見るようになった。まぁもちろんかっこいいわけだけれど、入り口としてはYouTubeチャンネルの中でたくさんアップされていたカバー曲動画で、古典的な定番ロック曲からK-popまで完全に演りきっているのを見て、これは悪くないと。で、むしろそっち入り口からのオリジナル曲で「RISE」「ZEN」あたりが極めてかっこいい。でまぁ、しばらくそのあたりをいろいろ見ていたのだけれど、そのうちまたBAND-MAIDを見るようになってさいきんはかなり見ている。結成10年ということもあり、曲もたくさんあるしファンの人?の作成したメンバー1人1人のドキュメンタリー動画なんかもあるし、リアクション動画もたくさん出ている。で、やはりリアクション動画というぐらいなので、BAND-MAIDを知らなかったひとがはじめて聴くリアクション動画、というのがおもしろいわけである。聞いたことがない、どうやらジャパンのガールズロックバンドらしい、メイドの恰好をしているんだってさ、ふーん、まぁ聞いてみよう、といってMVを見始めるとたしかにメイドの恰好をした女子たちが映り、あ~了解了解、バンドメイドね、OK?といいながら聞き始めたら、意外にストレートなロックで驚き、演奏と歌がちゃんとしてるんで驚き、ベースやギターやドラムのソロに驚き、気が付いたら呆然と、あるいは夢中に、なっている、というかんじ。でまぁこういうのは、とくに女子が聴いてハートを持ってかれてしまう様子を目撃するのがたのしいにきまってるわけである。だいたい「Domination」の公式ライブ動画を入り口にすべしである。
この↓イギリスかどっかの女子、メイド服のギタリストが映った瞬間に盛り上がり、「鳥肌たった!」といってすでに目がハートになってるわけで、途中から「ガールパワー!!!」とか、「女子なことを誇りに思うわ!」とかいって、エモーショナルになって涙をうかべて盛り上がるわけで、やはりそういうのを見ると多幸感につつまれるわね。
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こちら↓のかたは自身がフルート奏者だということなのだけれど、演奏を見て盛り上がり、盛り上がりながらそのよさを逐一言語化するところがたのしくて、説明しては同じところをリプレイするので1本のリアクション動画でほとんど2回演奏を聴くことになるわけだけれどまぁ楽しい。
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こちら↓は、聞く前はとてもええかげんなかんじなのだけれど、聞き始めたら女子の目がハートになって、「私は小さいころ日本のアニメやマンガをずっと見て育ったわ、ずっとあこがれてた服装をしてバンドをやってるなんてクールすぎる!!」とか言い始め、動画のライブ会場の聴衆といっしょに「ハロー!ハロー!」とか歌い盛り上がる。すてきである。
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こちらの↓おねえさまは、たぶんメタルの人で、「Domination」のMVを聴いて大いに盛りあがってそこからBAND-MAIDがお気に入りになったもよう。演奏のひとつひとつをほめているのはもちろんのこと、女子、ためらわず世界を駆け抜けろ、ロックで世界征服だ、というメッセージにちゃんと共感しているのでぐっとくる。
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こちら↓の女子は「HATE?」という曲の公式ライブ(いまのところいちばん新しく公式にアップされてるもの)を見て、まぁふつうはベースとギターのバトルがすごいとかいうところを、まぁそれは置いておいてひたすら歌詞に共感して盛り上がってるところがおもしろい。この歌詞は私が嫌いなやつに思う気持ちと全く同じだわ!これを私のアンセムにするわ!演奏とかそういうのはいいんだけどそれはこの際置いといて歌詞のことを言うわ!蝶々や虹の歌じゃなくてこれは本当にリアルな歌だわ!とひたすら盛り上がっているので好感が持てるところ。
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とかなんとか、
けっこうきりがないわけである。でまぁこういうのを次々みていると、同じ曲を何回も何回も聴くことになるわけだけれど、まぁ何度聴いてもいいわけで、つまりこちらもたいがいファンになってきてるといっていい。だいたい同じコースをたどるわけで、さいしょは「え~?メイド服?ふ~ん…」みたいな湯加減でいたのが、え?待って待って?となって、リアクション動画の人たちとともに盛り上がるわけである。
BAND-MAIDって、たぶんなんか基本的にはストレートなロックをやっていて、しかし一人一人の技術は高くて、しかもそれをお互い楽しんでやっている、というかんじでとても多幸感がある。YouTubeのコメント欄を見ると、欧米のBAND-MAIDファンは意外にも年配とか高齢のロックファンが多いようで、つまり70-80年代とかのロックで育った人たちが久々に好きになれるバンドらしいのである。ひとつには、「映画を倍速で見る人」的な文脈でロック曲のギターソロなんかを最近のヤングは「ピロピロ」と称してスキップしてしまうというはなしをみかけたことがあるわけで、つまりそうなると、ちゃんとギターやベースやドラムのソロがおこなわれ、あるいはデュエルがおこなわれる、みたいなのはむしろオールドファンを惹きつけるスタイルなのかもしれない。年配のロックファンたちが「30年ぶりにファンになったバンドがまさかメイド服を着ているとは予想をしなかった」とかいってるのを読むとなごむ。
あと、花冷え。との比較でいうと、たぶんNemophilaとかBAND-MAIDのメンバーの多くは音楽専門学校の出身で、つまりかれらの技術が受けているのは、ひとつには日本の専門学校の教育の成果だとも思われるわけである(→いや、修正か。BAND-MAIDのメンバーのうち、リードギター/ソングライターのカナミってひとは大学経済学部卒でニコ動で活動してたのを見つけられてリクルートされたとなってる。音楽専門学校出身は、ベースのミサってひととドラムのアカネってひとだけぽいですね)。それでいうと花冷え。はたぶん主要メンバーの3人が東京の私立中高女子高の同級生で美術部/軽音部だったところからスタートして、その後大学に進学して大学生をやりながら演奏を続け、卒業して今に至る、というかんじ(たぶん)。そのこととかれらの演奏のスタイルをつなげて考えてみることもできるかもしれない。あまりテクニックとか派手なソロとか、ストレートなロックバンドとしての技量とかで売るタイプではないわけで、むしろニコニコ動画TSUTAYAで育ったオタクのスタイルだといえばそう見えてくる。マッシュアップの感覚というか。まぁ知らんけど。
そしてしかしそういういいかたをするならば、花冷え。にせよNemophilaとかBAND-MAIDにせよ、おおまかにいってしまえばおなじようなリアクションをされているわけで、ハードロック、メタル、パンク、ポップロック、EDM、エモ、…とかそういうロック史のさまざまなジャンルがマッシュアップされて短い一曲の中でたくさんのことが起こっている、日本だ、ということになる(そのなかでいえば花冷え。がたぶんいちばん振れ幅が極端なのだろうし、BAND-MAIDは正統なハードロック、ポップロックの範囲内にさしあたりおさまっているように見えるということだろうけれど)。それはちょうど1990年代にジャズの界隈で「新伝承派」と呼ばれる動きがあったのと似たような構図にみえるわけで、後藤雅洋と加藤総夫の対談などを想起するわけである(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20061118/p1)。ウイントン・マルサリスたちがジャズの歴史をアカデミックに学んでスーツなんか着て演奏してるのにたいして、後藤雅洋は違和感を表明するわけで、まぁ作為的で感動がないみたいな。それにたいして加藤総夫が論駁していくわけで、結果的に、ジャズの歴史をアカデミックに学ぼうがジャズ喫茶で学ぼうがおなじことだ、つまり新伝承派をうみだしたのはジャズ喫茶の店主であるあなたたちでないのか、ということになるわけで、いかにも1990年代的な対談だったわけである。でまぁ同様に、ロックの歴史を専門学校で学ぶかTSUTAYAの棚やネットで学ぶかはあるいみ大差ないともいえなくもない。知らんけど。