通勤電車で読んでいた『野生のエンジニアリング』。タイの中小工業の、人と機械の人類学。面白かった。

野生のエンジニアリング―タイ中小工業における人とモノの人類学―

野生のエンジニアリング―タイ中小工業における人とモノの人類学―

昔に聞いただかテレビで見ただかのエピソードで、むかし日本の企業が東南アジアに工場を作って自動車かなんか作ろうと思ってたら、なんか出来上がりが設計図と違っていて、よく調べたら現地の工員が勝手に「こうしたほうがいいでっせ」とアドリブでそれなりにうまいこと作ってしまう、それでずいぶん困った、という話があって、ときどき授業で紹介したりもするのだけれど、まさにそういうエピソードが出発点で紹介されていて、日本とかからの技術者を困惑させるタイの「土着の」エンジニアリングというのがあるのだ、という。それで、それを、タイの中小工業の様態とか、職人たちのライフコースとか、作業の現場とか、工業製品そのものについても、いろいろ人類学的にフィールドワークする。それで、「人工物」とか「テクノロジー」の人類学、みたいなほうにもっていってて、おもしろい。図面を描くという習慣がない、とか。現物を動かしてみて、不都合をみつけてはちょっとずつ直していってさいごうまくいくみたいなかんじ。日本の(ていうか近代的な工業の)感覚だと、いちいち図面から描いて、改良を加えるなら加えるで変更点をいちいち記録して管理するわけですね。ふつうそうするでしょうと。そうかんがえると、タイの土着の工業というのが先進国のエンジニアたちを困惑させるというのはわからんではない。おもしろい。
ところで、自分が大学院生の時、院ゼミでの発表で、なにかおもしろい論文を紹介せよみたいなときがあって、そのときになぜか、「ブルーノ・ラトゥア」とかいう人の「ドアクローザーの社会学」という論文が面白いのだ、と確信して発表して指導教官以下みなさんを当惑させたおぼえがある。その後、「ブルーノ・ラトゥア」さんというのがブルーノ・ラトゥールという読み方でけっこう重要人物ということになって、あるいみ勘はよかったという自慢なのだけれど、こういう人工物の研究っておもしろいですよ。それで、この本の著者の人、「あとがき」を見てみたら、もともと東大の比較教育社会学出身の人らしい。ていうか、人類学の大学院に入りなおしたという経歴とともに、なにか微妙に当時の「ポストモダン派」の「教育社会学の院生」にたいする当てこすりが書いてあるような。んんん?