けっきょくトランプかぁ…というわけでトランプというと「表象からの不気味な撤退」(佐藤良明)と反=ジェントリフィケーション的な何か(倉本)を再掲。

トランプ再選ということで。いやはや。前にトランプが勝ったときにちょうど会議で隣だった国際学部の先生と喋ってて、その先生は「トランプが勝つと思ってました、ヒラリーはものすごく嫌われてますよ」というてはったんだが、今度またトランプが勝って、その先生はどういわはるかなあと思っていたらちょうど廊下ですれちがい、「またトランプ勝ちましたね」っつったら「今回はもうトランプが勝ちますよ」みたいなかんじで、そんなもんなのかーと思った。
で、トランプというのはやはりたしかに何者かであるわけである。そのよさがさっぱりつかめないところがミソだろうと。
で、トランプの印象というと、ここに書いたのでいうと、
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『表象』っていう表象文化とかの雑誌の巻頭言で「表象からのこの不気味な撤退は何を意味しているのだろう?」(佐藤良明)がおもしろかったという印象。話題はトランプ大統領で、就任式で夫人と「My Way」を踊ったと。で、歌詞の「I did it my way」の部分でカメラのほうに顔を向けて口パクをした、と。

この曲の歴史文化的コンテクストどころか誰が聴いてもふつうはわかりそうな歌詞そのものの世界すら平然と無視して、この曲をただ「I did it my way」という、子どもでも分かるたった5つの単語の並びにしてしまったのである、と。で、筆者の人はそれを「表象からの不気味な撤退」と評するわけである。教養がないとか読解力がないとかなんとかいうのとは次元が違って、そもそも「表象」というものから撤退している、という見立ては面白いし不気味なかんじがする。

あと、
今回のトランプはイーロン・マスクがからんでるところがこれまた薄気味悪くて、つまりトランプ現象をマスクとからめて書いていた倉本圭造という人のnote記事を思い出した。
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なんかこう、そこに、いわば反=ジェントリフィケーション的な何かを見る、みたいな視点ですね。勉強優等生的なインテリたちが彼らの世界観で世界を覆っていってるけどそれはたまらんぞ、という感覚というか。それはそれでわかる。
しかし、それが「表象からの撤退」によってそれがおこなわれるということになると、けっこうすごいなあと。表象で殴るのと物理で殴るのとどっちがいいですかみたいなはなしではあるね(ひとを殴ってはいけません。ぼうりょく反対。)