通勤電車で読む『宇宙怪人しまりす医療統計を学ぶ』『宇宙怪人しまりす医療統計を学ぶ 検定の巻』『宇宙怪人しまりす統計よりも重要なことを学ぶ』。
それはそれとして、
この本のいいところはしまりすのイラストだと思うのだけれど、なぜかある章の扉絵で、プリンス仕様のギターを弾いているカットが入っている。
それはそれとして、このシリーズが好評に付き、中外製薬YouTubeチャンネルで動画になっているようだ。全6回。
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通勤電車に乗っていたら電話がかかってきて、ちょうど駅だったのでぱっと降りて電話に出た。それで案件がとてもいいぐあいに解決してよかったし、アポの時刻も夕方になって、そしてふと気が付くと、その駅はこのまえ少し散歩していい感じの本屋さんがあったところだったのだ。ちょうど探してる本があって、それでそのまま改札を出て、駅前の本屋さんを物色して、それからまた少し歩いていい感じの本屋さんに入って、まぁ探してた本はなかったのだけれどなんとなく気になってた本があったので2冊ばかり購入。でまた駅前の本屋さんに戻って1冊買って、それでまた電車に乗って出勤、アポの時間まで読んだりしてた。
ところでこの『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』という本をさいしょに何で見かけたのか、思い出せないのだけれど、なにか気になってた小説を検索してたらなにかのながれで画面に出てきて気になったとか、たぶんそんな感じだと思う。それでいい感じの本屋さんに行ったら並べてあって、なんとなく購入。なんか、文庫版サイズだけれど、リトルプレスというのだそうで手作り感のある小さい本で、内容としては、歌人でもある著者の人が18歳で東京に出てきて働いてた頃のあれこれを書いたエッセイ。
…実際には、ケインズは、著作の中で、不況で失業者が生じている時に、自由放任を信条とする政治家たちに対して、何もしないでいるよりはお札を詰めた壺を廃坑に埋めるとかした方がまだましだという皮肉を言ったのでした。しかも、それに続けて、「もちろん、住宅やそれに類するものを建てる方がいっそう賢明であろう。しかし、もしそうすることに政治的、実際的困難があるとすれば、上述のことはなにもしないよりはまさっているであろう」と書いています。住宅建設など、より賢明な公共投資がやりたいならば、もちろん、その方がいいとケインズははっきりと言っているわけです(以下、J・M・ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』(東洋経済新報社)を参照)。
ところが、世の中では、この表現のニュアンスを理解できないどころか、ケインズが書いたものすら読まずに、「ケインズのように、穴を掘って埋めればいいなどというものではない」などといった言い回しで、財政政策を批判する人が後を絶ちません。
ふむ。なんだかよけいわからないというか、「穴掘って埋めるだけでいい」なら理屈としてわかりやすいけれど、「お札を詰めた壺を廃坑に埋めるとかした方がまだましだ」というのは、なにしろその「お札を詰めた壺」が何の比喩かわからないっていうか、「廃坑に埋め」てしまったらそのお金が市場から消えてしまうので乗数効果も効かなくなってしまうのでは、とか、よけいいみがわからなくなってしまわなくはない。
ともあれ、ひさびさに読んでみようと、じつは学生時代に買っていちおう読んで以来ずっと研究室の本棚に並べて幾星霜の『翔んでるケインズ』を読み直してみたわけである。奥付を見ると1983年の本で、自分が買ったのも学生かたぶん正確には院生のころに古本屋で買った(ケインズ、フリードマン、サミュエルソン、ガルブレイスの4冊を買った)んだと記憶しているけれど、まぁ、ノリとしては日本版・経済学者版のフォー・ビギナーズみたいなかんじで、それっぽいイラスト入りでケインズの足跡と理論とその影響をわかりやすく紹介してる。でまぁ、かんじんの「穴掘って埋める」のくだりは出てこなかったのでよくわからなかったけれど、しょうじきいちばんの印象は、これが1983年の本だということだった。イギリスはサッチャー時代。アメリカはレーガン。で、日本はバブル景気よりは手前、でもそれなりの上昇感はあったかんじ。まさかこの後、バブル崩壊とデフレの陰鬱な未来がくることになるとは思ってなかったよなあ。