通勤電車で読む『布団の中から蜂起せよ』。アナキストの本はいつも詩だなあと思いつつこれは良い本。

アナーカ・フェミニズムという看板を立てている著者の人はどうやら中世社会史研究をしている人でありペンネームでライターもやっているとのこと。例によって例のごとくTwitterのタイムラインでちらちら見かけたので読んだら良かった。
アナキズムというと、栗原康という人の本をいくつか読んで( https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160411/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160415/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160421/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160423/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160502/p1 )、また、それより以前に、これはアナキズムというのかはわからないけれどもテイストが似ていると感じた『愛と暴力の現代思想』『無産大衆神髄』の矢部史郎,山の手緑というひとたちの本( https://k-i-t.hatenablog.com/entries/2007/07/02#p2 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20110607/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20110618/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20120410/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20130624/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2019/07/19/210221 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/06/05/233716 )を読んだりしていて、なんかこう、アナキストの本はいつも詩だなあと思いながら読んでるわけだけれど、この人のも同じ感想。どこがどう詩かっていうのは、ぱっといえない(し、そもそも詩とは何かなどわからないし、詩をよく読んでいるわけでもない)けれど、印象的な、強い言葉が出てくるまま語られているっていうか。で、それがどこまでつじつまがあっているかどうかというのはたぶん本人の力量にもよるだろうし、まぁ、最終的に別につじつまを合わせる気はないのかもしれない。また、栗原という人の本を見たときは、「(これも自分的に似たような箱の中にいる)松本哉っぽいけれど松本哉みたいな活動力はなくて、自分の言うことを聞いてくれそうな人を選んでかみついてるように見えるなあ」というような感想を持っているけれど、詩といういいかたのなかにはそういう、現実的な力のなさみたいな気分もこもっている気がする。とはいえ、本書では、「布団の中から」というぐらいで、何かの活動に立ち上がることを称揚することがそもそもマッチョイズムに陥るわなにもなりかねなくて、じぶんは立ち上がることもできない、苦しみながら布団をかぶって寝ているしかないひとたちと(も)共闘したい、生きていることがすなわち革命的である、という線を模索してるっぽい。
で、これ帯に「初エッセイ集」と書いてあり、まぁ、エッセイ集と言えばエッセイ集だし、アジテーションといえばアジテーションだし、映画評、マンガ評などもあり、いいなあと思いつつ読み進められる。