通勤電車で読む『超人ナイチンゲール』。
「シリーズ ケアをひらく」にはずれなし、で有名なシリーズの新刊のひとつをこないだ読んで(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2023/12/08/132536)、もう一冊、これは栗原康( https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160411/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160415/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160421/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160423/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160502/p1 )のもの。まぁ、とりあえず気楽に面白いだろうなと思いつつ読んだ。まぁとりあえず気楽に面白かったのでよかった。言えるのは、『はたらかないで、たらふく食べたい』のときから文章の語り口調がいわゆる独特でおもしろい。で、『村に火をつけ、白痴になれ』のような女性の伝記で、まぁおもしろいとしたもんなわけである。で、ここではナイチンゲールの伝記ということになっている。で、ナイチンゲールは神秘主義者である、というところをポイントにして、神秘主義というところからナイチンゲールのおこなったことを読んでいくよという。でまぁなるほど、ナイチンゲールは子どものころから何度も神の声を聞いたみたいなことのようで、神に与えられた使命のために生きるよというのでいちおう話はなんとなく合っている。なんだけど、説明が相当雑で、デカルトが出てきてそれが近代的主体で、ところがそれではとらえられない身体が勝手に動き出す、脱自でエクスタシスで神秘主義だということで、それすなわちニーチェの超人だ、超人ナイチンゲールだ、そしてそれはケアの論理なのだ、ぐらいにあいだを超はしょるので、さすがにそれはむちゃだろうとは思うわけである。しかしそれはそれとして、なにせナイチンゲールという人が極端なひとだったようで、極端なひとの伝記というのはやはりおもしろいわけである。