通勤電車で読む『臨床のフリコラージュ』。斎藤環×東畑開人の対談本。

まぁ対談本ということで気楽に。『居るのはつらいよ』の人( https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2019/04/24/010318 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2019/07/18/230306 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2019/07/24/002047 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2019/07/30/205939 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/05/17/162611 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/06/14/140400 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/09/17/091650 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/04/21/211909 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2023/09/28/111421 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2023/09/29/212443 )が、斎藤環と対談している本。斎藤という人はむかしラカンとかおたくとかみたいなネタで商売したりしてて、あとひきこもりの専門家みたいなことで売っていてそのときはひきこもりも商売ネタにするのかと思っていたわけであるが、その後こんどはオープンダイアローグを紹介しててなんだこんどはオープンダイアローグで商売してるのかと、なんか最初のイメージが悪いとあとあとまで尾を引くみたいなことなのかと思わなくはないけれど(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20070315/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20100826/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/03/19/115459 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/04/19/154509 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/05/17/162611 )、齊藤×東畑の対談というのは雑誌で見かけてた(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/05/17/162611)わけで、なんかこの顔合わせで何度か対談をしていたらしく、それがまとめて一冊になったということのよう。で、内容的には、斎藤ODと東畑「ふつうの相談」が共鳴しているというか、「こころの時代」終焉後の精神/心理療法の現在地と可能性みたいなことをああだこうだいっていたという印象。
で、そのへんについては自分的には、ひとつは小泉義之ドゥルーズと狂気』『あたらしい狂気の歴史』の感想(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20140807/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2018/09/22/200054 )あたりで、つまり管理社会論の文脈でなんとなく考えてて、あと認知行動療法とかの「浅くてうすっぺらい」かんじをまぁ否定的にでなく見ながらちらちら追ってる、というかんじ。なので、本書の対談で言われているような現状というのは、まぁそうだわねというかんじで了解する。その説明が「振り子」、あるいは日本の景気がよかったとかわるくなった、というのは、だから、もうちょっとなんか言えるだろうなあと思うけれど、まぁそこを本気でやるのは社会学の領分ということになるだろうからいいとする。まぁ、社会学の領域で一時期、「心理主義化」みたいなことをキーワードにするのが流行ったけれど、それはそれこそ「こころの時代」が終わりつつあったころの社会的兆候ということになるのかもしれないし、まぁ自分としてはだから管理社会論の文脈でなんかいえるかなあ、たとえば本書で両者がふつうの「つながり」を強調するのを、ドゥルーズが管理社会の特徴として「ネットワーク」が強調されるというのの例として読みたくなるし、まぁそれがすぐさまいいとかわるいとかいうのではなく、それはまぁそういうもんだとしてそのうえで今のシステムは何なのか、「振り子」だとか「螺旋状によくなってる」とかいうんじゃなくてシステムがどう異なるのかというのを見ていくべしということなんだろうと思いつつ読んでた。
あと、たぶん自分にとってすごく重要なのが『症例研究 寂しい女』の山中先生なわけだが、ふつうの精神科のお医者さんとして、浅く見るところはサクッと見て、深々と見るべきところにもちゃんとつなげられるようにする、そこをぱっと判断して当たる、というあたりの芸風がすごいなあと思ってたわけで、本書では山中先生は「人文的な、深く見る人」みたいに言われているけれど、これは世代なんすかね、わたくしの山中先生のイメージと違うのだった。たぶん本書で言ってるようなことは、『症例研究 寂しい女』が出た1991年には山中先生はやってたし言ってたんだと思う。
あと、
この本の中で名前を挙げて評価されている精神科医として神田橋先生という人がいて、おやおやと思ったが、以前読んだこの本(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2023/06/21/163542)で気になってたひとで、感想にもそのことを書いていた先生だった。自分はそこでも山中先生に言及しているね。